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hamatra My First Game 036:SHU(1998年11月3日vs浦和レッズ)

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マリノスが好きになったキッカケは何ですか?
今の観戦や応援スタイルに行き付いたキッカケは何ですか?

あの試合があったから今がある。
あの試合があったからここにいる。

そんな思い出に残っている試合を語ってもらう My First Game

今回は、SHU(@s_go_tw)さんによる1998年11月に行われたvs浦和レッズの試合です。

今回は「SHU」さんのMy First Game(自己紹介)

初めまして、SHU(@s_go_tw)と言います。大体ゴール裏に生息しています。

物心ついた時にはマリノスが好きになっていました。具体的にいつからマリノスの試合を見ていたのかは、おそらく親も覚えていないでしょう。

最初に好きになった選手は城彰二選手ですが、今はただ、痩せて欲しいと思っています。

My First Game(初観戦)

記憶に残っている最古の観戦は、1998年3月21日、横浜国際総合競技場での横浜フリューゲルス戦。

キックオフ直後から煙でしばらくピッチが見えなかったことと、最終的には良くない気分で家路に就いたことを覚えています。

しかし、この試合については、これ以上のお話は出来そうにありません。それからしばらくは、人の少ないアウェイ自由席二階などで静かに観戦していました。

ホーム自由席一階に行かなかったのは、「あんなところに行ったら耳がおかしくなる」という親の方針だったように思います。

今回は、そんな私がゴール裏に行くきっかけとなった、思い出深い二つの試合についてお話しします。

My First Game(ゴール裏に行くきっかけ)

1998Jリーグ 2ndステージ 第15節第1日
横浜マリノス 3-2 浦和レッズ
@国立霞ヶ丘競技場
得点者:67'小野伸二(浦和) 77'福田正博(浦和) 85'城彰二 89'城彰二 89'遠藤彰弘

https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=3905


1998年11月3日、国立霞ヶ丘陸上競技場での浦和レッドダイヤモンズ戦。

フリューゲルスとの合併が発表された直後の試合だったことでも有名なこの試合ですが、当時7歳の私には何のことやら分かっていなかったと思います。

この日、私はバックスタンド上段にいました。 周りはレッズサポだらけで、前半から猛攻をかけるレッズの惜しいシュートで唸ります。

一方的な試合展開でハーフタイムを迎え、レッズサポは上機嫌。こんな場所だとは知らずにチケットを買ったであろう隣の父と、縮こまってじっと座っているよりありませんでした。

後半22分、レッズが先制。続けて32分にも追加点を決め、周囲はその度に立ち上がって大盛り上がり。座ったままだった私達は、「大人しい親子だな」くらいに思われていたことでしょう。

それが後半40分、城がゴール。85分間の反動もあり思わず飛び上がって叫びました。すると周りのレッズサポが一斉に振り返ります。 大勢の大人が四方八方から敵意剥き出しで睨んできたのですから、それは衝撃的な光景でした。

数分後、更に城がゴール。またも立ち上がって喜び、やはりレッズサポに振り返られます。

そして遠藤のゴールで逆転。消沈するレッズサポの中で静かに勝ち誇っていました。

今となっては諸々の事情により二度と出来そうにない経験ですが、「俺はマリノスが好きなんだ」というその気持ちを誇りに思うようになった、そんな試合だったと思います。

語り継ぎたい、レッズから来た男が帰還した試合

月日は流れて2005年5月1日、味の素スタジアムでの東京ヴェルディ1969戦。

https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=8491


この日、この年レッズから加入した山瀬功治が、左膝全十字靱帯断裂の大怪我を乗り越え、遂にベンチ入りしていました。

私は一階ゴール裏の最奥に座っていました。この頃にはチャントも覚えて口ずさむようになっていまして、特に好きだったのは、「俺達の声をパワーに変えろ」のチャントでした。

試合は前半にワシントンに先制され、後半に那須のゴールで追い付いて1-1。 さあ逆転だ、というムードでゴール裏も盛り上がります。しかし彼がベンチに呼ばれた瞬間、アウェイ側ゴール裏は逆転を狙うピッチ上などそっちのけでざわつき始めました。

やがてグレーのアウェイユニフォーム姿になり背番号10が見えると、一斉に叫び始めます。彼の名を呼び、「待ってたぞ」「やってやれ」と鼓舞し、各々が思い思いの言葉を叫んでいました。

それからしばらくプレーが切れず、ピッチ脇で腿上げダッシュをしながら待機する山瀬功治への声援はヒートアップするばかり。ようやくプレーが切れると、ゴール裏の叫びはピークに達しました。

特大ボリューム、割れんばかりの「功治」コール。14年経ちますが、あれが最も大きな声援だったのではないかと思うほどです。大橋と交代してピッチに入った瞬間から全力ダッシュでポジションへと向かった山瀬功治は、そのまま数分間、一時も足を止めずにピッチ上を駆け回りました。

あれだけの全力ダッシュは、他に記憶にありません。サッカーが出来る喜び、チームの勝利の為に戦える喜び、共に戦う喜びが、あの空間には溢れていたように思います。

ゴール裏に行ってみて

それから「俺達の声をパワーに変えろ」のフレーズに惹かれてゴール裏の中心近くに飛び込んでみることにした私は、声が枯れるまで歌い、脚が棒になるまで飛び跳ねました。 試合後の疲れやがらがら声はマリノスと共に戦った証であり、勲章のように感じ、とても心地好いものでした。

あれから14年。色々なことがありましたが、私に、ゴール裏だとかマリサポだとか、大きな括りで何かを語ることは出来そうにありません。 私が語るとすれば、ゴール裏に飛び込んだことで出来た、友人についてです。

隣にいてくれる彼ら彼女らについて、私は何も知る必要がありませんでした。私に何か知る必要があったとすれば、それは約束をしていなくてもスタジアムに行けばきっと会えるということです。

マリノスが勝てば最高の気分になれて、マリノスが負ければ悔しくて堪らない。共感出来る気持ちはたった二つで充分な間柄。 彼らに伝える感謝の言葉は「出会ってくれてありがとう」に尽きます。

「家族」「ファミリー」、サッカー界ではよく耳にする言葉ですが、私にはただ、あのスタジアムが「家」であり「ホーム」であるという、その実感だけはあります。

コンコースでは応援場所の異なる仲間とも言葉を交わし、試合が終わればまた顔を合わせる。そんな時間が、私にその実感をくれるのです。それはかけがえのない友人達や全てのマリノスに関わる方々が齎してくれたものであり、もしかしたらそれが、この14年間を振り返る時、私にとっての締めの言葉となるのかも知れません。

マリノスを愛する全ての人が、ホームスタジアムを家だと思い、安らぎの時を過ごせるよう、そしてそんな日々が永遠に続くよう、私は願います。

次回の「My First Game」

そんなゴール裏で出会った友人の一人である、ハナエさん(@hanae12)に、次回のバトンをお渡しします。

前回私を指名してくれたかっつさんは、私を「恐るべき存在」と紹介してくれましたが、ハナエさんはとても優しく、それでいて力強い応援で勇気をくれる方です。

彼女のMy First Gameが楽しみですね。

text:SHU(@s_go_tw)
edit:ろこ(こけまり)

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