Web Magazine hamatra

スタジアムを熱く、楽しくする横浜F・マリノスサポーターのためのウェブマガジン「Web Magazine hamatra」(ウェブマガジン ハマトラ)  Presented by NPO法人ハマトラ・横浜フットボールネットワーク

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hamatra My First Game 003:りお(1996年4月3日vsヴェルディ川崎@国立霞ヶ丘競技場)

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マリノスが好きになったキッカケは何ですか?
今の観戦や応援スタイルに行き付いたキッカケは何ですか?

あの試合があったから今がある。
あの試合があったからここにいる。

そんな思い出に残っている試合を語ってもらう My First Game

今回は、りおさんによる1996年4月に行われたvsヴェルディ川崎の試合です。


今回は「りお」さん(自己紹介)

りおです。

栗原勇蔵選手と古部健太選手(現、V・ファーレン長崎に所属)への愛情垂れ流しブログをたまに書いている人です。

wec.amebaownd.com

 メイン→ゴール裏と移動し、ここ数年はバクスタの住人です。


りおの「My First Game」:1996年4月3日 横浜 vs 川崎

1996年4月3日(水)
Jリーグ 第5節
横浜マリノス 2-3 ヴェルディ川崎
@国立霞ヶ丘競技場
得点者:18'柱谷哲二(川崎) 43'山田隆裕(横浜) 86'三浦知良(川崎) 88'鈴木健仁(横浜) 90'ビスマルク(川崎)

Jリーグ公式記録


初観戦のきっかけ

当時川口能活選手(現、SC相模原に所属)がとても好きだった友人を誘って、初めてJリーグの試合を観に行きました。(私は『清商の川口くん』にハマって、表紙になった高校サッカー雑誌は何冊も持っていましたが、プロではあまり観ていませんでした)

自分の行動範囲が広がったこと、Jリーグのチケットが手に入りやすくなったことなどが理由としてあったと思います。

また、虎党の父の『読売嫌い』をしっかり受け継ぎ、かつ当時仕事で取引があったために父がよく「日産を応援する」と言っていたことが頭に刷り込まれていました。

その影響から、野球でいえば阪神-巨人戦のようなこの2チームの対戦を初観戦で観たかったのだと思います。

初観戦の思い出

この試合の内容で唯一覚えているのは、右サイドをするするっと駆け上がった鈴木健仁選手が、そのままこちら側からは遠くの方のゴールで点を取ってきたことでした。

後ろのポジションの人がさーっと上がっていって点を取って帰ってきた!ということに当時の自分としてはとても衝撃的を受けたのです。

FWだけが点を取る人ではないと知ってはいたはずなのですが…。

ゴール裏に陣取ったので、後ろから見ていたということもあるのでしょう。

テレビだと横位置からの映像が多いので、見たことのないシーンに見えて印象的だったのかなと。

何しろ試合結果も覚えていないくらいですから。(これを書くにあたりどの試合か特定しようと調べて、え、負けてたの?!と驚いたくらい)

今ではCBにうるさい人みたいに周りからは見られていますが、サイドのポジションの選手の突破や得点にテンションが上がるのは、このときの原体験があるからなのかもしれません。

ちなみに、この試合の後はずっと試合結果や順位は気にしていたものの、代表戦などを除いてはスタジアム観戦はほとんどしていませんでした。

前述の川口能活選手フィーバーな雑誌の隅に載っていた神戸弘陵高校のキャプテン奥大介選手が同郷のよしみで気になっていて、スタジアムに足繁く通うようになるのは7年ほど経った後、奥選手がマリノスに移籍してからなのです。

ただ再びスタジアムへ足を運んだきっかけも前座試合にマリノスとヴェルディのOB戦が組まれていたからなので、やはりこの試合を抜きにしては今の自分はないかな、とMy First Gameに選びました。


次回の「My First Game」

次回の「MY FIRST GAME」は、バクスタ仲間のこあだんぷさんへリレーします!




※チーム名の表記は当時のものを記載しています。

当時)ヴェルディ川崎
現在)東京ヴェルディ

清商
当時)静岡市立清水商業高等学校
現在)2013年3月31日に閉校。 4月、跡地に静岡市立清水桜が丘高等学校が開校




text:りお
edit:はち(@hachhing

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