Web Magazine hamatra

スタジアムを熱く、楽しくする横浜F・マリノスサポーターのためのウェブマガジン「Web Magazine hamatra」(ウェブマガジン ハマトラ)  Presented by NPO法人ハマトラ・横浜フットボールネットワーク

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hamatra My First Game 011:こごみ(2000年5月6日vs京都パープルサンガ)

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マリノスが好きになったキッカケは何ですか?
今の観戦や応援スタイルに行き付いたキッカケは何ですか?

あの試合があったから今がある。
あの試合があったからここにいる。

そんな思い出に残っている試合を語ってもらう My First Game

今回は、こごみさんによる2000年5月に行われたvs京都パープルサンガの試合です。

今回は「こごみ」さん(自己紹介)

こごみと申します。
Twitterでは「*こごみ*」 、ハマトラSNSでは「こごみ」です。

日産スタジアムでは2階バックスタンドで、三ツ沢やアウェイではゴール裏の片隅で、試合毎に注目選手や対戦相手に因んだネタを仕込んだ「ガムテゲーフラ」を出して応援しています。
過去にどんなものを出したかは、ブログで紹介してるので見てください。
NPOハマトラの活動では、青葉区・都筑区のお店にマリノスの試合日程ポスターを貼ってもらう「ポス活」に参加してます。


サッカーとの出会い

サッカーには、全く関心がありませんでした。
1993年のJリーグ開幕時も、当時は乳児を抱えてそれどころではない感じ。

平穏な時を過ごします。

1999年の11月のある晩、夕飯の支度をしていると幼児だった息子が言いました。

「おかあさん、テレビでおかあさんと同じ髪型の人がサッカーしてるよ!」

セルフカットしてたので、そういうイケてない髪型の選手がいるのか、と覗き込んだ画面に映っていたのが中村俊輔選手でした。
プレーとは全く関係ないヘアスタイルっていうね(笑)。

この試合で中村俊輔選手は平瀬智行選手の2点目をアシスト、直接FKで日本の3点目を決め3-1の勝利に貢献、U-22日本代表は最終試合を残してシドニーオリンピック出場を決めました。
試合後のヒーローインタビューで、「まぁ、いろいろサイドとか…グッスン…」と涙ぐんでいたのが印象に残っています。

これがわたしとサッカーの出会いです。

youtu.be


My First Game

2000年5月6日(土)
Jリーグディビジョン1 1stステージ 第11節
横浜F・マリノス 2-1 京都パープルサンガ
@横浜国際総合競技場
得点者:8'三浦淳宏(横浜) 18’松田直樹(横浜) 34'熱田眞(京都)

Jリーグ公式記録


初観戦のきっかけ

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何をどう刺激されたのか忘れましたが、小学生の娘と「へぇ〜中村俊輔って、横浜マリノス(←チーム名もよく分かっていない)の選手なのか、一度Jリーグを観に行ってみよう」という話になり、翌2000年の5月、初めて横浜国際総合競技場に出掛けたのです。

2002年にFIFAワールドカップ日韓大会が開催されるので、一度サッカーを観てみたいと思ったのかも知れません。
対戦相手なんてすっかり忘れてたけど、今回チケットで確認したら京都パープルサンガでした。
カズが出ていたような。

北ゲート入って右のマラソンゲートあたりが空いてたので、そこで見たような気がします。

試合内容や勝敗は覚えていません。

今改めてメンバー表を見ると川口能活松田直樹上野良治遠藤彰弘三浦淳宏、中村俊輔、京都のゴールマウスには松永成立
そうそうたる面々ですね。
当然そのありがたみは全く分かっていませんでした。

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My First Stage Title

2000年5月27日(土)
Jリーグディビジョン1 1stステージ 第15節
ジェフユナイテッド市原 0-2 横浜F・マリノス
@国立霞ヶ丘競技場
得点者:38'エジミウソン(横浜) 69'遠藤彰弘(得点者)

Jリーグ公式記録


優勝の記憶

この試合以降マリノスは勝ち続け首位に立ちますが、第14節の上位対決でセレッソ大阪に敗れ2位陥落、自力優勝がなくなります。

しかし最終節にあたる第15節のアウェイの国立競技場で行われたジェフユナイテッド千葉戦に勝利し、首位のセレッソ大阪が川崎フロンターレに敗れたことで、1stステージ優勝が決まりました。

この試合は自宅でBS放送を見ていました。
画面にはオールバックの能活が喜ぶ光景とカップを掲げる俊輔の姿。

にわかに応援しだしたチームが、こんなに簡単に優勝するんだぁと思った記憶があります。


My First Away Game

2000年6月24日(土)
Jリーグディビジョン1 2ndステージ 第1節
FC東京 3-0 横浜F・マリノス
@国立霞ヶ丘競技場
得点者:13'トゥット(東京) 50'小池知己(東京) 89'アマラオ(東京)

Jリーグ公式記録


苦い思い

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すっかり中村俊輔に魅せられ、2000年6月には初めてのアウェイ、FC東京 vs 横浜F・マリノスへ出掛けています。
この日はとんでもない土砂降りで、子どもは留守番、母ちゃんは一人で出掛けます(いきなり入れ込んでます)。

開始早々先制され、後半追加点をとられ、終了間際アマラオ選手に3点目を決められた時にスパイクが川口能活選手の頭に当たり負傷。
3人交代した後だったので、オムさん(小村徳男選手)がGKジャージを着て8分のロスタイムを凌ぐという壮絶な試合でした。

試合後にFC東京サポーターから俊輔に向けて、 ハピバースデートゥーユー♪を歌われる屈辱。

サッカー観戦2試合目にして、忘れられない試合になりました。

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My First Game at Mitsuzawa

■2000年8月19日(土) Jリーグディビジョン1 2ndステージ 第10節
横浜F・マリノス 3-2 ヴェルディ川崎
@横浜市三ツ沢公園球技場
得点者:36'外池大亮(横浜) 67'外池大亮(横浜) 70'中澤佑二(V川崎) 88'中村俊輔(横浜) 89'中澤佑二(V川崎)

Jリーグ公式記録


浴衣デ―

初めての三ツ沢球技場。
今ならどの席でもよく観えるって知ってますが、観戦素人の哀しさ、奮発してバックスタンド指定席を購入。

しかも浴衣デーだったので、親子で浴衣を着て下駄を履いて地下鉄の三ツ沢上町駅から向かいます。
通りの右側を歩けば平坦なのに、左側を歩いたばかりに階段を上がったり降りたり。
三ツ沢球技場に着くころにはボロボロになっていました。

マリノスの得点より、五輪代表だったボンバー中澤佑二選手の2得点のインパクトが大きかったです。
のちにマリノスに来るなんて、夢にも思いませんでした。

9月にはシドニーオリンピックが開幕。
テレビで中村俊輔とU-23日本代表を応援します。

その後、マリノスのファンクラブ「F・マリノスクラブ」の家族会員になって、結局このシーズンはホームゲームを6試合、アウェイゲームを2試合観戦しました。

2ndステージ、マリノスは5位で終了、2ndステージチャンピオンの鹿島アントラーズとのチャンピオンシップに臨みます。
12月2日の第1戦は横浜国際総合競技場で0-0の引き分け、12月9日の第2戦は国立競技場で0-3の敗戦

マリノスの戴冠は叶わず、中村俊輔の涙とともにシーズンは終わりました。
ホームでもチャンピオンシップに子ども連れで行く、あるいは12月のナイトゲームに国立競技場へ行くという発想が当時はなく、地上波とBSの中継をテレビで視聴しました。


マイシート(年間チケット)を購入

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そして2001年の後半からはマイシート(ハーフ年間チケット)を購入し、ナビスコカップの初タイトルを国立競技場で見届け、2002年のFIFAワールドカップ日韓大会のテレビ視聴を経て、中村俊輔がイタリアに行っちゃった後もずっとマリノスを応援し続けることになります。

2003年と2004年の優勝はホームゲームはスタジアムでその瞬間を目にしましたが、まだ埼玉スタジアムは真っ当な人が行くところとは思っていませんでした。
子どもがまだ小さかったACLの試合観戦は、敗退が決まった2005年の三ツ沢1試合のみをスタジアムで観戦。
そしてだんだん遠くのアウェイにも出かけるようになって、知り合いが増えて…。

ハマトラSNSに入りました。


24時間365日マリノス(サポーター活動)

一番の転機は2007年8月11日の「最後のダービー」でした。

3月10日の三ツ沢なのにアウェイ横浜FC戦に不覚を取った(0-1の敗戦)後から始まった、クラブとサポーターが一体となって準備した大動員リベンジマッチ「8.11」(試合は8-1で勝利)のために、試合の日だけでなく、24時間365日マリノスを後押ししたいと思うようになったのです。

長くなりました。

その頃からゲーフラを掲げるようになったと記憶してますが、それがなぜ毎試合ネタを考えて貼る「ガムテゲーフラ」になったのかは、いずれブログにでも書きたいと思います。

たまたま見かけた地上波テレビの年代別代表の試合がキッカケで、中村俊輔選手のファンになり、マリノスが好きになり、やがてホームもアウェイも夜行バスや青春18きっぷを使って遠征し(サポバスにも随分お世話になっています)、2014年のACLはメルボルンと広州にまで行くようになるとは。
その中村俊輔選手が移籍してしまっても、マリノスというクラブを応援し続けるようになるとは…。

誰だって始めは初心者。

スターシステムいいじゃありませんか、キッカケはなんだろうと、スタジアムで試合の雰囲気に触れたならトリコロールの虜になる可能性があるんです。
先ずはスタジアムに足を運んでもらいたい、マリノスを応援する人をひとりでも増やしたい、そんな仲間と勝利の歓喜を味わいたい、チームと高みを目指したい、そう思って試合に通い、ホームタウンにポスターを貼る日々です。


次回の「My First Game」

お後がよろしいようで。

次の「My First Game」は、だいきちさんです。



※チーム名の表記は当時のものを記載しています。

当時)京都パープルサンガ
現在)京都サンガF.C.

当時)ジェフユナイテッド市原
現在)ジェフユナイテッド市原・千葉

当時)ヴェルディ川崎
現在)東京ヴェルディ



text:こごみ(@kogomi23
edit:はち(@hachhing

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