マリノスが好きになったキッカケは何ですか?
今の観戦や応援スタイルに行き付いたキッカケは何ですか?
あの試合があったから今がある。
あの試合があったからここにいる。
そんな思い出に残っている試合を語ってもらう My First Game
今回は、だいきちさんによる2004年12月に行われたvs浦和レッズの試合です。
今回は「だいきち」さん(自己紹介)
前回の人妻から「オマエの初体験を赤裸々に書きやがれ」と指令がきたため、嬉し恥ずかしドキドキワクワクの私の初体験を綴っていこうと思うのだが、その前にオマエ誰だよ?て言われてしまうと思うので自己紹介を。
だいきちです。
日産スタジアムではゴール裏のメイン寄りのあたりで、歌を歌ったり、ビールを飲んだり、写真を撮ったり、ビールを飲んだり、野次飛ばしたり、ビールを飲んだりしています。
ちかごろ薄毛が気になる樋口靖洋前監督毛髪リスペクトの中年オヤジなのです。
マリノスを好きになったキッカケ
マリノスを好きになったのは、Jリーグスタート前でまだ学生だった頃。
テレビで前身の日産自動車の試合を観たことからであった。
そこで気になったのは、頭部は薄いがやたらとパワフルな外国人選手。
そう、エバートン選手がとても印象的で、ユニフォームもブルーでかっこいいから、サッカーは日産自動車を応援しようぐらいな感じだったと思う。
その後に、これまたテレビ観戦した全日空に行きかけもしたのだが…。
その後、日産や日本代表で知っていた木村和司と水沼貴史もいたし、この後ドーハ組で名を轟かす松永成立、井原正巳らも在籍していたこともあって「すげぇ、代表だらけじゃん!!」 みたいな、すごくミーハーなハマり方をしていった訳である。
ほどなくしてJリーグが始まり、その流れで当然のように横浜マリノスを応援するようになったのだが、この時点でスタジアムに行こうなんて感覚は全くなかった。
当時チケットも取れなかったしね。
初観戦
2004年9月23日(木・祝)
J1リーグ2ndステージ第6節
横浜F・マリノス 2-2 ヴィッセル神戸
@国立霞ヶ丘競技場
得点者:15'坂田大輔(横浜) 30'安貞桓(横浜) 61'播戸竜二(神戸) 82'和多田充寿(神戸)
初観戦のキッカケ
それからW杯のアメリカ大会、フランス大会、そして日韓共催とグーンと時が流れた’04年のこと。
この時マリノスは名将・岡田武史に率いられ(マリノスの監督でコールされてたのを僕はこの人しか知らない)
前年1st2nd両ステージ制覇の完全優勝、さらにこの年の1stステージも制し、2年連続の完全優勝に挑んでいる真っ只中。
一方、3度のW杯でますますサッカーにはまり、我が世の春を謳歌する岡田マリノスをインターネットでチェックしてはホクホクしていた、がしかし未だスタジアム観戦経験無しの僕を、仕事仲間でFC東京サポーターのH氏が誘ってくれたことがそもそものきっかけだった。
「今度、国立でマリノスの試合あるんだけど行かない?」
多分、仕事場でもよくサッカーやマリノスの話をしていた僕へのサッカーファンとしての啓蒙活動ってのもあったんだろう。
僕は僕で、「国立なら近いからいいかなぁ」なんてのもあった。
それが'04年の2ndステージ第6節のヴィッセル神戸戦。
初観戦の思い出
うん、気づいた方もいらっしゃると思うが、なんと太鼓の人とまんまネタかぶりでなんですねぇ(笑)。
なので、ここは足早に進んで行こう。
キックオフ1時間半前の集合を告げられた僕は、生観戦未経験ゆえにウォーミングアップなどあることも知らず、「ずいぶん早い時間から行くんだな」なんてことを思ったのを覚えている。
試合の方はというと、前半、坂田、安貞桓の得点で楽勝かと思われるも、後半、勇蔵、久保が退場し追いつかれてしまうという微妙な展開。
余談ではあるがこの時、この試合を含めた直近の4試合中3試合でマリノスから退場者が出ていたことから、翌年には廃止されてしまうことが決まっていた〝最後のチャンピオンシップ〟をどうしても開催したい見えざる何かが働いているんじゃないかといった陰謀論がささやかれたりもしましたな。
が、ともかくこうして僕の初生観戦は終わったのであった。
My First Game
2004年12月5日(日)
サントリーチャンピオンシップ 第1戦
横浜F・マリノス 1-0 浦和レッズ
@横浜国際総合競技場
得点者:66'河合竜二(横浜)
My First Game に行くキッカケ
それから2ヶ月後、残念ながらマリノスの完全優勝はならず浦和とのチャンピオンシップに進むことになるのだが、ここでまた再びH氏からの誘いを受ける。
「チャンピオンシップ行かない?」
彼にしてみれば、以前誘いに乗ったことから誘えば来るだろうというのもあっただろうし、野次馬的に最後のチャンピオンシップを見てみたいというのもあったろう。
僕はその誘いにまんまと乗るのだが、一つ不安な点が。
後日、「マリノス側売り切れちゃっててレッズ側しか取れなかったんだよねぇ」とのことである。
その時はあんま深く考えず、「どっちのサポでもない第三者のふりしてりゃいいか」ぐらいの軽い気持ちで横浜国際総合競技場行きを決めるのである。
My First Game の思い出
そして試合当日。
秋の陽気でまったりムードだった初体験の国立に対し、ビッグイベント然とした華やいだ雰囲気のナイトゲームだ。
来る人来る人にマッチデープログラム配ったりしていて(売り物は売り物で別にあったようだが)、なんかそこにまたビッグイベントを感じたりもしたな。
そして僕たちが陣取ったのは、浦和ゴール裏の2階メイン寄りであった。
ちなみにこの試合だが、久保、安貞桓の得点源がダブルで出場できず、その年の得点王をとった最強助っ人・エメルソン、売り出し中の田中達也らを擁する浦和有利と見られていて、岡田マリノスは引いて守ってのカウンターを選択するのではないかと思われていた。
が、試合が始まると坂田、そして大好きなジロー(清水範久)の快速ツートップをはじめとし、前線から猛然とプレスを敢行するという意表を突く立ち上がりで主導権を握る。
トルコ代表のアルパイら浦和DF陣が快速ツートップに翻弄され、右往左往する様は実に痛快である。
一方そのころ僕らはどうしていたかというと、周りは赤いユニフォームばかりだったとはいえ空席も少なくなく、座ってじっくりと観戦中。
「中西はフランスW杯のアルゼンチン戦を思わせる潰しぶりだねぇ」なんてH氏と話しながら、マリノス優勢に進む試合をのんびり見ていた。
そんな感じで前半は終わるのだが、後半が始まると状況は一変。
「あれ、こっちすげぇ空いてるじゃん」の声とともに、赤いユニフォーム姿のサポたちがゾロゾロと2階へ上がってきたのだ。
多分1階で席がみつからなかった人たちなんだろう。
もちろん彼らは立って歌って応援なので、周囲は完全なるゴール裏状態だ。
でも記憶によると、ゴール裏でも1階と2階と席種が違って料金も違うはずだったのだけど(笑)。
そんなレッドボルテージに包まれる中で生まれた、馬場ちゃんこと河合竜二の恩返し決勝ゴールは、そりゃもう今まで感じたことがないぐらいの興奮であったのです。
がっかりする赤いユニフォームの人たちにぶん殴られないように、超小ちゃくガッツポーズだったけど。
というわけで、会心の勝利に気分を良くした僕は、浦和サポたちが座席に置いていったマッチデープログラムを保存用にと何部も拾い集め帰途に着いたのだった。
My First Game で感じたこと
これが僕のMyFirstGame〝初めての横浜国際総合競技場〟のあらましです。
この試合で僕が一番感じたこと、そして日産通いになるきっかけとなったのは、実は「新横浜って意外と近いんだな」なのです。
この試合に行くまで横浜市営地下鉄なんて乗ったこともないどころか知っていたかも怪しく、田園都市線の三軒茶屋から乗り換え1回で行けてしまうという事実は実にインパクトがあって「こんなに楽しいなら来シーズンはガンガン新横行こう」と思うに至ったわけ。
これってすごく大事なことだと思っていて、例えば初参戦の誘われ方が国立ではなく「明日鹿島でナイターなんだけど」だったら、僕はおそらく行ってない…。
いや、例えが適当ではないな、それは誰でも躊躇するやつ。
例えばフクアリぐらいの距離感だったらどうだったんだろう?
距離に限らず、チケットの入手しやすさ、スタジアムでも席の見つけやすさなんて手軽さはとても大事だと思うのです。
そんなわけで翌'05年、ゼロックス杯のワシントンがボンバーを引きずりながら決勝点という衝撃的な試合を皮切りに、ホームゲームはほぼフル参戦。
’08年の開幕ごろに至っては、H氏から「明日、横河武蔵野の試合タダなんだけど行かない?」と誘われ、「今札幌向かってて青森で電車待ちっす」と返して呆れられる始末なのであった。
ところで、「横浜国際総合競技場」でのマリノスの公式戦なのだが、上に書いたゼロックス杯からネーミングライツにより「日産スタジアム」になるので、'04年のACLまでしばらく開催されないこととなる。
来年こそは横浜国際で公式戦やりたいですね。
次回の「My First Game」
この企画は、記事を書いた人が、次に書く人を指名するリレー形式で進行していきます。
次回の「MY FIRST GAME」は、TAKE-1さんにリレーします。
※チーム名の表記は当時のものを記載しています。
当時)横河武蔵野FC
現在)東京武蔵野シティFC
text:だいきち(@die_kichi)
edit:はち(@hachhing)