マリノスが好きになったキッカケは何ですか?
今の観戦や応援スタイルに行き付いたキッカケは何ですか?
あの試合があったから今がある。
あの試合があったからここにいる。
そんな思い出に残っている試合を語ってもらう My First Game
今回は、Tristanさんによる2005年5月に行われたvs山東魯能泰山の試合です。
今回は「Tristan」さん(自己紹介)
Tristanです。周りからは“トリさん”と呼ばれています。
その昔はビッグフラッグに関わり、バンデーラで応援していましたが、今ではメインスタンドで静かに観戦している爺です。
サッカーへの興味
私が始めてサッカーに興味を持ったのは、1968年のメキシコオリンピックで日本代表が銅メダルを獲得した時でした。
その後、奥寺康彦さんの1FCケルン(ドイツ)での活躍や日本リーグ(実は緑が好きでした、ゴメンナサイ)等々を見て、ずっとサッカーは好きでしたが、特に熱心なファンというわけでもありませんでした。Jリーグが始まってからも、最初の頃のプラチナチケット状態が嫌でスタジアムまで行くことは殆どありませんでした。
そんな私が初めて“マリノスの試合”と意識してスタジアムに行ったのは、2002年の日韓ワールドカップ後の国立競技場でのvs柏レイソル戦でした。当時、まだ小学生だった娘が日本代表の松田直樹選手のことを好きになったのをきっかけに、それから段々とスタジアムに行くようになったのです。
My First Game
2005年5月11日(水)
AFCチャンピオンズリーグ2005 グループF 第5節
山東魯能泰山 2-1 横浜F・マリノス
@山東省体育中心体育場
得点者:7'那須大亮(横浜) 39'鄭智(山東) 90+4'鄭智(山東)
私を変えた試合
私が「My First Game」と言える試合は、なんといっても「2005年ACLグループリーグのアウェイ山東戦」です。
よく“アウェイの洗礼”と言いますが、この試合は“洗礼”などという生易しいものではなく、本当のアウェイで戦うということはどういうことなのかを思い知らされた試合でした。中国(青島空港)に着いた時から試合が終わってスタジアムを出るまでのすべてが、まさしく“敵地”だったのです。
*写真は、前回筆者のあべっちさんに提供して頂きました。
私は、スタジアムに行き始めた頃はメインスタンドで観戦していましたが、2002年の終わり頃から段々とゴール裏に行くようになりました。それから、完全優勝、3ステージ制覇などという素晴らしい戦績での2連覇を経験し、また色々な成り行きからビッグフラッグに関わるようになったりして、その頃はいっぱしのサポーター気取りだったのです。
でも、山東でのこの試合を経験して、「自分は今までいったい何をやってたんだろう?」と、心の底から思いました。そして、私はこの試合をきっかけにして、修行僧ならぬ修行サポーターになったのだと思います。
この試合が実際どういうものであったかについてはご存知の方も少なくないと思いますし、ここで語り出すと間違いなく際限がなくなってしまう(笑)のでやめておきます。もしご存知ない方は是非とも当時書かれた観戦記第1部、第2部、第3部を読んで頂きたいと思います。
その代わり、ここでは私を修行サポーターへと駆り立てた、あの時のスタジアムの雰囲気を主に書いてみたいと思います。
山東サポはバックスタンドに3つ位のグループに分かれて陣取り、それぞれのグループが特に連動するわけでもなくバラバラに応援していました。使っていた応援ツールも10個くらいの太鼓とそろいの帽子(?)位で、旗や断幕は見うけられませんでした。これだけの数の太鼓連打は確かに迫力がありましたが、日本のように組織立ったコールや歌はなくてバラバラにやっている感じだったので、最初は「大したことないな」と思っていました。
しかし、試合が進むにつれてどんどんヒートアップしてきて、特にメインスタンドの盛り上がりは強烈で、誰かのリードに合わせてコールするというのではなく、ただただ試合の流れに合わせて叫ぶという感じでした。山東がチャンスになれば狂気乱舞のような喜び方。マリノスがボールを持っただけでスタジアム中がブーイングの嵐。さらにウェーブも出る。「加油!加油!(ジャーヨウ!ジャーヨウ!=がんばれ!がんばれ!)」をスタジアム全員で始める。
応援スタイルという観点から見れば決してカッコ良いものではなかったと思いますが、ここぞという時の盛り上がりや熱気は本当に凄まじいものでした。
また、強く印象に残っているのがピッチの周りにいた報道陣です。この人達も、見ていてはっきりわかる位に山東を応援していました。マリノスが先制した時の悔しがり方、同点に追いつきさらに逆転した時の喜び方は観客より凄かったかもしれません。
このような状況からか、レフェリー(特に線審?)は当然のように完全に山東寄りでしたし、さらにボールボーイがあからさまに時間稼ぎをする、担架要員が安貞桓選手に平手打ちをする等々、とにかくあの試合ではスタジアム全体が敵でした。マリノスは、山東の選手だけでなく、ほんの一握りのマリサポを除くスタジアムの全員を相手に戦ったのです。
応援って何だろう
日本に戻ってきてしばらくの間、あのスタジアムであったこと、特に山東サポの応援のことを考えていました。全員で合わせるわけでもなく、カッコよくもなんともなかったのに、なぜあれ程までの力や凄みがあったのか。。。
そこでふと思ったのが、“実はあれこそが本当の応援の姿なんじゃないのか?”ということでした。
特定の人やグループのリードがあろうがなかろうが、スタジアムにいる全員が、ただ勝ちたいという一心で只管応援する。一人一人の気持ちが溢れ出て、それが一つになった時に初めて、とてつもない力になるんじゃないのかと考えるようになりました。もちろんこれって言葉で言うほど簡単なことではないんですが、いつかは実現したい、そのためにはまず自分が変わらなくちゃダメだ!と思い、そこから私の本当のサポーター修行が始まったのです。
死ぬまで変わらないのさ
しかし私も寄る年波には勝てず、もうずいぶん前にビッグフラッグ引退を宣言し、徐々に徐々にと関わるのをやめました。また、応援場所もバンデーラからゴール裏最後尾に移り、そしてついに今年からはメインスタンドで大人しく観戦しています。
山東の試合をきっかけにして始まった修行サポータの道も、当初のものとは少し変わってしまったかもしれませんが、それでも、きっと死ぬまで修行は続くのだろうと思っています。最近は全く歌われなくなってしまったアモーレトリコロール♪の歌詞「この気持ちは死ぬまで変わるはずはないのさ」、今は文字通りこの気持ちです。
次回の「My First Game」
かつて一緒にビッグフラッグをやり、昨シーズンまでは一緒に応援(私は観戦ですが)していたmakochanさんにお願いしたいと思います。
彼はそれなりの歳(失礼)になった今でも全試合参戦を目指し、90分フルにコールし続けている尊敬すべきサポーターです。
text:Tristan
edit:はち(@hachhing)