Web Magazine hamatra

スタジアムを熱く、楽しくする横浜F・マリノスサポーターのためのウェブマガジン「Web Magazine hamatra」(ウェブマガジン ハマトラ)  Presented by NPO法人ハマトラ・横浜フットボールネットワーク

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hamatra My First Game 016:あき(2005年4月28日vs川崎フロンターレ)

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マリノスが好きになったキッカケは何ですか?
今の観戦や応援スタイルに行き付いたキッカケは何ですか?

あの試合があったから今がある。
あの試合があったからここにいる。

そんな思い出に残っている試合を語ってもらう My First Game

今回は、あきさんによる2005年4月に行われたvs川崎フロンターレの試合です。

今回は「あき」さん(自己紹介)

あき(@matugasuki3)と申します。

ホームの日産スタジアムでは二階ゴール裏の最前列にいます。
お隣のエリアでは若い子たちが跳んでますが、ファミリー層が多いわたしの周りも若者に負けず劣らず熱いエリアとなっていて、時々ちょっと大きな声で叫んだりしています。

また港北区でポスター貼ってます。

皆さま仲良くしてくださってありがとうございます。


初観戦

2002年9月18日(水)
Jリーグ ディビジョン1 2ndステージ 第4節
横浜F・マリノス 1-0 コンサドーレ札幌
@横浜国際総合競技場
得点者:112'平瀬智行(横浜)


何故、観に行ったか

この日まで日本代表の試合はテレビで観てもJリーグ自体には全く興味がありませんでした。
新聞屋さんからもらった招待券を見たら2002年のW杯決勝のスタジアムだから興味が湧いたのかもしれません。

でももっと思い返せばルーツは中学生の頃のサッカー部のキャプテンがかっこよかったからかもしれません。
校則違反のちょっと長めな髪にネックレスがちらっと学ランから見えるちょいワルな雰囲気。
当時、生徒会役員をしたり風紀委員会にいたりしたわたしには別世界の憧れでした。

話が逸れましたね。。


娘の運動会の日

2002年の秋、娘の運動会が終わって帰宅したあとに夕飯を作って犬の散歩もし、一通りの家事を終えたら新聞屋さんからもらった招待券を握りしめ、1人で自転車で横浜国際総合競技場に向かいました。

鶴見川の土手をビュンビュン飛ばしてキックオフぎりぎりに到着。
どこで見ようと迷った挙句コーナーの上の方に座りました。

今回執筆にあたり、記憶を遡って2002年の秋ごろに行われた試合で調べていくうちにたぶん上記の試合かなと思ったけど、本当にこの試合だったか確証がなく、また試合内容は忘れましたが勝ったということだけは覚えています。


観戦し終えて

試合が終わってどんどん人がいなくなり、がらんとした広い広いスタジアム。
あぁ、ここがW杯決勝のスタジアムなんだなぁと感動しながら余韻に浸りつつ、ウロウロしてたら誰もいない広いピッチを走る選手らしき姿が。

何してるんだろう、と前まで行って見てると見ず知らずの男の人が「あれはクールダウンしてるんだよ。選手は5分でも出たくて1週間練習してる。仕上がってるから身体が冷めないんだよ。だからあーやって走ってるんだ」

その時、わたしの脳みそが熱く燃え上がり胸の奥がキリキリしました。
たった5分でも出してもらえるために1週間練習してるだと!なんなんだ!そのエネルギーは!
そしてこの選手は5分も出してもらえなかったにもかかわらず、次の試合のために今から走ってるんだ!!

わたしは次の日、書店に(ブックオフですけど)駆け込み、サッカー関連の本を数冊買いました。
決戦前夜」とか「魂の叫び」とか。

…今から考えたら「魂の叫び」は、フロンターレ関連やんか(オエッ)。

古本になってるサッカー雑誌もたくさん買いました。

その上、新刊の週刊サッカーマガジン週刊サッカーダイジェストを毎週買うようにしました。
サッカー選手の日々の努力を見たくて知りたくて。
18.19歳の自分の息子と同じくらいの若者がどうしてそんな気持ちになるのか。
どんな努力をしてきたか。
知りたくて貪るように読みました。

長男に「お母さんもそろそろ趣味を見つけたらどう?家事と仕事以外になにか生き甲斐を見つけたら?」と言われてふと観に行ったサッカー。
招待券持って自転車で行ったサッカーにこんなにのめり込むとは思いませんでした。

それからは新聞屋さんからの招待券だけでなく、自分でチケットを買ってホームゲームはほとんど行くようにしました。
2003年2ndステージの最終節、あの雨の中で行われた日産スタジアムでの奇跡の逆転優勝を経験したし、後日行われたパレードにも参加したし、その頃からアウェイにも行くようになりました。


My First Game

2005年4月28日(木)
Jリーグ ディビジョン1 第8節
横浜F・マリノス 1-2 川崎フロンターレ
@等々力陸上競技場
得点者:28'マルクス(川崎) 49'黒津勝(川崎) 72'那須大亮(横浜)


セルフジャッジして負けた試合

試合中、松田直樹が怒って揉めて時間がどんどん過ぎていて、わたしはいらいらして「もう!松田!怒るな!時間ないぞ!」って言ったら、隣りのおじさんがニヤニヤしながら「直樹はあれでいいんだよ!勝ちたいだけなんだよ!」って笑いながら話しかけてきました。

わがままだなぁと腹を立てながらも「勝ちたい」だけという勝利に対する貪欲な姿勢に惹かれ、以降はいつも視線の先には松田直樹が。

そして、わたしのユニフォームは3番になりました。

この試合が、My First Gameというか、松田直樹を好きになった記念日です。


思い出の試合

2007年10月13日(土)
Jリーグヤマザキナビスコカップ 準決勝 第2戦
横浜F・マリノス 2-4 川崎フロンターレ
@等々力陸上競技場
得点者:07'大島秀夫(横浜) 20'伊藤宏樹(川崎) 23'鄭大世(川崎) 35'ジュニーニョ(川崎) 37'坂田大輔(横浜) 89'黒津勝(川崎)


黄色いユニフォーム

その頃には既に松田直樹がわたしのスターでアイドルで憧れの存在でした。
平凡な主婦の日常のエネルギー源は3番。
松田直樹を心から愛してやまないマツサポでした。

試合は負けてしまい、退場したGKに代わって着た黄色いユニフォームを片手に肩を落として歩く松田直樹に「下を向くな!マツ!次は勝つぞー!まだ何も決まっていない!」と叫びました。
(当時、地味にブログを書いていたので写真も残ってました。)

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ピッチの中で「勝ちたい」気持ちをカラダ全体でメラメラ出す、あの黄色いユニフォーム着た松田直樹みたいに強い気持ちで応援したら絶対に次は勝てると思いました。

事実わたしは全く諦めておらず、次の日産スタジアムでは前日頭を怪我して救急車で運ばれてホッチキスで8針縫ったにも関わらず、12時間後には包帯ぐるぐる巻きでゴール裏で応援していました。

が、この試合も負けてしましました。


反発心

悔しくて悔しくて逆に魂に火が付きました。
もっと強い気持ちで応援したら勝ったかもしれない。
負けた悔しさがそのまま「勝ちたい」という気持ちにスライドしバネになって、次の試合に気持ちが強く向く!って感じですかね。

思えば、2007年3月に三ツ沢で横浜FCに負けたため、次こそは「勝ちたい」という想いから同年8月11日に行われるホームゲームに向けて街をマリノスいっぱいにするようにしたのがポスター掲出活動の始まりです。
また、それをきっかけにサポーター有志で動員数増加のために駅前などでウイマリというチラシを配布する活動や、スタジアム内では応援を盛り上げるためにハマトラペーパーやバモバモコミックを配布したりと、心を一つにして応援するための各活動に参加するようになりました。


今の想い

松田直樹がいなくなった今、ひとつの大きな愛が分散しマリノスの選手1人1人を好きになりました。
そしてチームがどんな時であろうが、会社がどうとかフロントがどうとかそんなのすっ飛ばして今のマリノスにいる選手みんなが好きになりました。

今年のユニの番号はまだ決まっていません。
わたしの心を鷲掴みする選手が現れる素晴らしいシーズンであることを期待しています。


次回の「My First Game」

次回は二階ゴール裏にいる港北区のかわちゃんにバトンを渡します。
かわちゃん、よろしくお願いします。



text:アキ(@matugasuki3
edit:はち(@hachhing

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